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社員と共に、常に「次の一歩」を踏み出していきたい。
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異業界からの転身。フラットな目で1つひとつ社内改革を進め、会社を成長軌道に導いた。
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日本電鍍工業株式会社
代表取締役
伊藤 麻美
(40歳)
Mami Ito
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東京都出身。インターナショナルスクールに通い、上智大学外国語学部を卒業。フリーのDJとしてラジオパーソナリティを務める。8年間活躍した後、30歳を機にアメリカへ留学。宝石鑑定士・鑑別士の資格を取得し『カルティエ』への就職が決まったものの、家業である『日本電鍍工業』の経営が危ういとの連絡で急遽帰国する。会社を再建させるため、2000年3月、32歳で社長となる。経営経験はなかったものの、型にとらわれないフラットな経営と持ち前の負けん気で社内改革を進める。結果、3年で会社を黒字転換させた。その明るい性格と親しみやすい笑顔で社員からも慕われている。また、プライベートでは2歳の男の子の母でもある。
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ラジオのDJ、宝石鑑定士を経て、全くの異業界から経営にチャレンジ。社員と共に社内改革を進め見事3年で会社を黒字転換させた伊藤社長に、同社の経緯と今後のビジョンについてお話を伺った。
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突然訪れた人生の転機。宝飾の道から、経営者に転身する。
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ラジオのDJなど珍しい経歴をお持ちですが、社長になるまでの経緯をお教えください。
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『日本電鍍工業』は、もともと父が経営していた会社でした。とはいっても、私は会社を継ぐつもりはなかったし、父も私に「好きなことをやりなさい」と言ってくれていました。バブル景気の真っ最中に就活をしたので、仕事は選び放題。そこで私は、音楽に関わる仕事がしたいとラジオのDJになったんです。仕事を甘く考えていて壁にぶつかったこともありましたが「始めたら絶対にやり通す」という気持ちで8年間続けました。そして30歳になったのを機に、もう一つの夢であった宝飾の世界に進みました。アメリカに渡り学生生活をエンジョイ。そのとき、たまたまパーティーで会ったカルティエの社長に「よかったらウチで働かないか?」と声をかけていただいて。もう、先生も友達も大騒ぎ!私もこの道を進むもの、と思っていました。
そんな矢先に、実家から電話がかかってきたんです。「会社の経営が上手くいっていない。家を売らなければならないかもしれないから、すぐに帰国を」と。すでに父は亡くなったあとで、経営は別の方にお任せしていましたから、私はそんなことになっているなんて知らなかった。慌てて帰国したものの、その時はまだ会社を継ぐことは頭にありませんでした。
実はそれまで『日本電鍍工業』の社屋に行ったことはほとんどなかったんです。でも帰国後、今後についての話し合いのために会社を訪れる中で、社員と接する機会があって。すると彼らの生活や家族が見えてしまって。そうしたら、もうほうっておけなくなってしまいました。「この会社がなければ今の自分はなかった。今度は私が社員とその家族の生活を守らなくては」と強く思いました。業績が最悪な中、経営経験の無い私が会社を継ぐなんて無謀だという声もありましたよ。でも、後悔はしたくなかった。「もしダメでも命はなくならない」と、思い切って飛び込んだのです。それが2000年3月、32歳の時でした。
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経営の経験値ゼロからのチャレンジ。支えてくれたのは社員だった。
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異業種からの転身…「めっき」も経営も全く分からない中、まず何から始めたのですか?
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社長の仕事が何なのかもわからないまま就任して(笑)。自分にできることから始めようと思って、まずは毎朝、全部署をまわって挨拶をしました。それと、掃除も自分からやりました。実は挨拶も掃除も、親から言われてきた基本的なこと。そこからスタートしたんです。要は“愛情を注ぐ”ということですね。前の経営者がよほどひどかったんでしょう、当時は社員の笑顔が全くなかった。そこから変えていこうとしました。
あとは、社員は人生でも仕事でも先輩なので、こっちが偉そうに言ってもだめだと思って。背伸びをせず、同じ目線で一緒にやっていこうと思いました。業績もオープンにして、社員に自分も業績に関わっているんだ、という意識を高めてもらえるようにしました。ミーティングも頻繁にしましたね。
経営者になったことを後悔したこともありましたよ。資金繰りには相当苦労したし、女に何ができると言われたり。関係各所に頭を下げに行き、ただただあやまり続けたときの悔しさ、悲しさは今でも覚えています。でもそういう厳しい局面に合うたび「今にみてろ!」と燃えましたね。負けず嫌いなので、逆境に立つとパワーがわいてくるんです。
そんな中ありがたかったのは社員のあたたかさですね。私は社員の誕生日に、感謝の気持ちとしてワインやチョコレートをプレゼントしていたんです。そうしたら、あるとき「社長、話があります」と真剣な顔で呼び出されて。いつもと違う雰囲気に緊張しながら工場に行きました。そうしたらみんながそろっていて、「何か文句を言われるのか」と思ったら…クラッカーがポンポンッと鳴って「社長、誕生日おめでとう!!」って(笑)。経営者は涙を見せてはいけないと頑張ってきましたが、その時はもう感激でした。本当に、社員には恵まれたなあと思います。
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父の時代から受け継いだ技術力に注目。少量多品種にシフト。
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見事3年で黒字転換されましたね。具体的に、どんな取り組みを行なったのですか?
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3年で黒字にならなかったらやめようと考えていたんです。ダラダラやるのはよくないですから。そもそも当社の業績が悪化した理由は、単純なめっき加工がほとんど中国に移ってしまったからです。うちがメインで扱っていた時計パーツの仕事も大幅に減ってしまった。この状況の中で生き残るには、付加価値の高い技術を提供することがポイントになると考えました。そこで時計一辺倒から少量多品種にシフト、職人の手作業による高付加価値を売りにしました。
もともと国内大手時計メーカー全ての指定工場となるくらい技術力は高かったんです。顧客の高い要望に応えるために自社でめっき液の開発をしてきたくらいですから。良い会社なのに、社員がそれを感じられていないのが良くないと思いました。
手がける製品の幅を広げるため、営業活動にチカラをいれました。みんなで頭を寄せ合ってホームページを作ったら、さっそく海外から注文がきて。その他にも、色んな展示会に行って営業をかけました。そんな努力が実を結び、あるとき医療用カテーテルのめっき加工依頼がきたんです。人の血管の中に入れるものですから、限りなく細いうえに高い安全性も求められる難しい仕事でした。でも、うちの技術グループは見事やってのけたんです。それがテレビに出て「人の命を救っているんだね」と皆でやりがいを実感できました。半導体などでも高い技術を求めてお客様の方から声をかけていただけるようになり、「うちの技術はすごい」ことを思い出すと、社員もどんどんイキイキしてきました。
こんな風に、小さな目標をクリアしながら成功体験を共有することで、全員がやる気になれたのがよかったんですね。今では時計の他に楽器や筆記具などの高級品を任される信頼を獲得しました。2007年には経済産業省の「元気なモノ作り中小企業300社」にも選ばれました。
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社員全員に「納得感」を持ってもらえるよう、意見を汲み取っています。
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現在の社風はどうですか?
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挨拶って大事ですよね。顔を見ることで「今日は元気がないな」とか相手の様子がわかりますから。私はインターナショナルスクールで育ったので挨拶を全く恥ずかしいと思わず、いつも「ハーイ!」って明るく声をかけるんです。すると、無表情だった社員が思わずふき出しちゃったり(笑)。そういうコミュニケーションを重ねていくうちに、社員からも私に意見が言いやすい環境ができたのだと思います。ふざけて私のことを「マミちゃん」って下の名前で呼ぶことも(笑)。もちろん仕事の場では社長と呼びますけど。会社として一体感が出てきたのはうれしいですね。
トップダウンの経営はしたくないので、何をするにも社員の意見を聞いています。業者から自動販売機を入れ替えないかという話があったときも、業者の方に「ちょっと社員に意見を聞きます」と言ったら不思議そうな顔をされちゃいました(笑)。でも、うちはどんな小さいこともみんなで決めるんですって。年に1回は、パートスタッフも含めて全社員と1対1で話す機会を設けています。1人30分の予定なのですが、本音で話し合ううちに2時間以上たってしまうこともあります。プライベートな相談にものりますよ。同じ空間で働く仲間への愛情は、ずっと大事にしていきたいですね。今は、足音でどの社員かだいたい分かるくらいです。
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時代と共に、技術も“進化”していくことが必要です。
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これからの『日本電鍍工業』をどうしていきたいか、ビジョンを教えてください。
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表面処理という技術は、なくなることはありません。そして製品の小型化が進む中、めっきも進化しなければならないでしょう。同じことだけやり続けるのはNGです。常に「次の一歩」を踏み出していきたいですね。時代の波に合わせて表面処理以外の分野の開拓も必要になるかもしれません。技術開発には父もすごく力を入れていたので、その気持ちは受け継いでいきたいですね。そして、成果をもっと社員に還元していきたい。明るい会社にすることは成功しました。2年前に母になり、何も言えない赤ちゃんの意思を汲み取ることを経験して、経営も同じだなあと感じています。これからも社員の意見を聞きながら、共に会社を育てていきたいと考えています。
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ありがとうございました。最後に学生に対するメッセージをお願いします。
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「仕事は好き嫌いで選ばない方が良い」というのが私の経験談です。私は“めっき”も化学も好きではなかったけれど、縁で会社を経営することになりました。その中でわかったのは、仕事は好きでなくとも、やっていれば必ず好きになるということです。そのかわり3年は続けないとわからない。好きなことを見つける気持ちで頑張れば、絶対にいい結果に繋がります。
当社は「出る杭は伸ばしまくる!」を信条としています。社員の声に応えたいので、もちろん発言は自由です。「なせば成る。やってみなけりゃわかんない!」というスピリットを持っていれば、色んなことにチャレンジすることができますよ。今いる若手社員も、工場長を目指したり、技術開発にチカラを注いでいます。従業員ではなく“仲間”としてあなたをお迎えしますので、一緒に会社を育てていきましょう。
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